泡沫の夢・下

 

「――――」

 

 私は所々が軋む身体を起こし、周りを見渡した。

 どうやら、私はベットに寝かされているようで、周りは病室のように質素。その部屋の中に私はいた。

 どういう経緯でここに居るかは分からないが、確か私は瓦礫の下敷きになった筈。

 私が死点を突いて崩れた建物の瓦礫に。

 

 それは、少なくとも私が望んだことだった。

 

 黒桐の言葉は私の決心を壊してしまうから。

 私の中でのあいつは、とてつもなく巨大で強力なものとなってしまっている。黒桐の言葉は逐一私の行動を侵す。

 何か事あるごとにあいつの顔を思い出してしまう。

 

 これが、恋と言うなら。

 なんて、残酷な恋だろうか。

 

 だから、会わないと決めた。

 会わないと決めたのに――――――。

 あいつは私を探し出した。この広い町の中で、限りなくゼロに近い幸運と悪運を手繰り寄せて。

 よりにもよって、あんなところを見られるなんて、思いもよらなかった。

 

 今、町を徘徊する殺人鬼。

 

 そいつの寝床と、死体が転がった廃工場。

 街灯の明かりさえ届かない、路地裏のようなところで、私は偶然殺人鬼と遭遇した。

 

*****

 

『誰だ、お前―――――』

『――――』

 廃工場を調べている途中、後ろから声が上がった。

 私はそいつの顔を確認するために、振り返る。

 

 その瞬間。

 パキュン、という乾いた銃声。

 私は何がおきたのか分からないが、足と腹部に鋭い痛みを感じて、膝を突いた。

 

(くそ、本当に見境が無いな)

 

 私が聞いていた殺人鬼は、いまだ3人しか殺していない。

 だが、多発する誘拐事件も含めて見れば、たぶん20人は超えるのだろう。

  

 全く、見境の無い。

 

 こいつは視認した人間全てを標的にしているようだ。

 これで、20人ぐらいですんでいるのは、ある種の奇跡か。

 

 足音がどんどん近づいてくる。

 人影が漏らす荒い息、それだけが静寂に包まれた廃工場の中に響いている。

 しかし、それにしてもまさか得物が銃器だとは。

 リーチの長さが規格外だ。

 しかも、殺人鬼の腕は相当のものだ。暗闇の中で正確に足を潰すとは、すばらしい手練だ。

 もしかしたら、自衛隊のような、訓練を積んだ人間なのかもしれないと、考え――――――。

 その殺人鬼が私の目の前にたった。

『お前が、殺人鬼―――――通り魔の張本人だな』

『何故分かる?』

 はっきりとその顔を見る。

 殺人鬼は体格のいい男だった。格闘技や暗殺術に長けていそうな、がっしりとした体躯。そして日本人には珍しい長身。180は超えているだろう。

 その男の質問に、答える。

 

『白々しい、全身から血の匂いをぷんぷんさせといて、今更俺は殺人鬼じゃないって言うのか?はっ、お 前のことなら町のどこに居たって嗅ぎ当てられるぜ。その染み付いた血の匂いでな』

 男が、顔を顰めるが、どうやら私が動けないことを知り、口角を吊り上げて笑った。

『威勢だけはいいな』

 男は私を見下ろして、嘲笑う。

 今度は私が顔を顰めた。

 

 そう、私は動けない。

 何故かというとさっきの銃器でのダメージが、抜けないのだ。

 腹部を貫通した弾はいい。だけど足のほうを貫通した弾はたぶん、足を動かしている中枢神経を破壊したようだ。

 しばらくすればそれも両儀の血で回復できるだろうが、この場ではあまりにも遅すぎる。

 刻一刻を争う殺し合いで私は動けないでいるのだ。

 

『くっ―――――』

 苦悶の表情を、私は顔に出す。

 それを見た男は、気色悪い笑みを浮かべた。

 

『よく見ればあんた、女じゃないか。しかも、随分キレイだな。俺と同じ匂いもするし、お前も人を殺してきたんだろう?』

 男の手が頬に触れる。

 蛇のような、気持ち悪い感覚に私はナイフを取り出し、その触れた腕を切りつけようとした――――が、あっさり避けられてしまった。

『危ないな。その腕はいらないな』

 

 そういって、男は私を力の限り地面に押し倒し、そして私の革ジャンの袖を引っ張った。

 ビリビリビリと布の破ける音がする。

『なにを―――――』

『いきり立った男と、えらくキレイな女が深夜に、しかも人の居ない廃工場ですることなんて決まっているだろう?』

 両手が革ジャンの袖でかなりきつめに縛られる。

 

『っ―――――なめるな!!』

 私は縛られた腕で、男の顔面を殴る。隙ができて、その隙のうちに転がったナイフを口で銜えて、両手を縛る革ジャンを引き裂く。

『な』

『俺とお前は違う。お前は人を殺したいから殺しているだけ。そんなの殺人鬼じゃない。そうだ、お前は殺人鬼じゃない。ただの殺戮者だ』

 ナイフを構える。

 足は未だに動かないが、それでも男は気付くだろう。

 

 ――――魔眼を発動させる。暗い闇に目だけが蒼く輝く。

 

 私が、男とは違う。生粋の殺人鬼で、人間とは異なった化け物なのだと。

『ひっ―――――ば、化け物!』

 男はその眼を見て、随分怯えながら逃げていった。

 

*****

  

 そう、こうして私は一度殺人鬼を退けた。

 逃がしたのは、どうせどこに居たってあの血の匂いを探し当てることができると確信していたから。

 被害が増えるのは許せないが、あの場では私も自由に動けなかったし、仕方が無かった。

 

「成るほど、それで天下の両儀式が獲物を逃がしたと、稀有なこともあるものだな」

 

 ふと、室内に私以外の気配を感じた。

「人の思考を読むのがお前の趣味か?気配まで消して」

 その人物の正体を知って、私が何故ここに居るのかが見当がついた。

 

 人物の正体は蒼崎橙子。

 そして、ここは橙子が所有する廃墟――――もとい事務所の一室だろう。

 

 何のつもりかはわからないが、こいつが私を崩れ行く瓦礫から救ったようだ。

 

「はっ、言ってくれる。命の恩人に対してそこまで言うかね?普通。まぁ、いいさ。お前にどう思われようが、どうでもいいこと。全部私のおせっかいだしな。……さて、何が起きたのかは聞かないが、世間では、少なくとも事務所内ではお前は死んだことになっている。といっても、あいつらがそう考えているだけだけどな。だがこのとおり、お前は生きている。私が救った。足の切れかけていた神経も、傷ついた内臓も全て治した。いつだって動けるようにしておいたぞ」

 ………確かに、反応が鈍くなっていた足はきちんと動くし、腹部は銃弾のあとさえない。

 どうやら、こういうことに関しては確かな腕を持っているようだ。

「で、俺にどうしろと?」

「ここらをちょこまかしている虫を払ってほしい。目障りだからな」

 はっ、白々しい最初からその為に私を助けたんだろうが。

 

 まぁ、いいさ。

 どうせにせよ、私はあいつを殺す。殺人鬼を殺す。殺して終焉(おわり)にしようと思う。

 

 織が信じて、私に託した泡沫の夢。

 それを守れなかった私は、ここで終わるべきなのだ。

 

 狂いたる殺人衝動。

 それを否定してきたのは織。

 肯定してきたのは式。

 

 あの、雨の日。

 

 本当に死ぬべきだったのは―――――――。

 

*****

 

 三月。

 春の息吹が感じられる時期になってきた。

 風は冷たい、というよりも涼しいに変わってきて、桜の蕾が膨らみ始めていた。

 

 その中。

 僕は事務所で、相変わらず機械人形のように仕事、という作業を繰り返している。

 式を失った僕。

 空っぽになった僕という人間は、生きる意義も無く、ただこうして磨り減っていくのだろう。

 子供の頃抱いていた夢を、成長するにつれ失う大人のように。

 

 静寂が支配している事務所内。

 式がしなくなって以来、仕事以外では話さなくなっていた僕や橙子さん。そして鮮花までも。

 僕と鮮花はそれぞれの罰を。

 見ていながら助けられなかった、裏切ってしまった、傷つけてしまった。

 

 涙は枯れ果てて、もう出すことさえできなくなった。

 

「はぁ」

 届かなかった指先に思いを馳せて。

 何度かめのため息をついて、コーヒーを啜る。渋い味が口内に広がって、苦味となって、胃を刺激した。

 

「あー」

 ふと、橙子さんが頬に手を当てながら、気の抜けた声を出した。

 なんというか気の抜けた、間延びした声である。

「ええい、もう耐えられない!これは何かの拷問か!」

 そうかと思ったら、いきなり叫びだした。

 

 頭のほうとか……大丈夫だろうか?

 

「どうしたんですか?橙子さん」

 だから、ついつい話しかけてしまった。

 式が居なくなってこの方、口を開くなんてことはめったに無かったのにも関らず。

 まぁ、仕方が無いじゃないか。元々こういう性格だ。

 式が居なくなったことで口数は減ったが、性格は変わっていないのだから。

 

「実は、本人からは言うな、といわれていたのだが。……いいや、こんな状況もう耐えられない。黒桐!!」

「は、はい」

 

 すう、と息を吸ってから

 

「式は生きているぞ」

 

 一気にそんなことを言った。

 

 僕は、その言葉の意味がよく理解できなくて、聞き返す。

「だから、式は生きている。ぴんぴんだ」

 

「……へ?」

 今、この人は、ナントイッタ?

「確かに式は瓦礫の下敷きになりかけたが、私が救った。ぎりぎりのところでな。だから、式は生きている」

「――――!どうして、早く言ってくれなかったんですか!」

 

 僕はようやくその言葉の意味を理解すると、橙子さんに掴みかかる。

 

「いや、式が言わないでくれといっていたんだ。教えると、お前すぐ探そうとするから。だから――――――――って、言っている傍から何をしている!」

「何って」

  

 僕は荷物を持ち、コートを羽織る。

 

「式を探すんですよ!」

 

 式が生きていた。

 式に会える。

 会って、今度こそ謝って普通の日常を取り戻すんだ。

 

「じゃあ、今日は早退させて頂きます!」

 

 事務所を出る。

 向かう場所は決まっていないが、とりあえず式のマンション、両儀家、心当たりのある場所を巡っていればいつかは会えるだろう。

 いや、会うんだ。

 

 失ったと思っていた命を今度は絶対に離したりしない。

 式を愛している―――――そう、直接伝えよう。

 

 それで、式が救うことができるなら、僕は式に一生を誓おう。

 君の罪は、僕が背負うから。

 

*****

 

 黒桐が事務所を出て行ってから半刻。

 事務所には当たり前のように私しか居ない。

 今日は鮮花が来ない日だから、当たり前か。それにしても、結構やばい事態になってきた。

 

 やはり、全てが終わってから教えればよかったな。

「アレから被害者は減ったな。式の脅しが通用しているという事か、しかし、いまだ通り魔は健在。しかもそいつは銃器が専門だ。一度戦った式ならばそれを予期して防げるだろうが、もしも黒桐が狙われたりしたら―――――」

 

 こっちは接近戦を旨とする殺人鬼、あっちは銃器で戦う暗殺者。

 式の傷を見れば分かるが、暗闇の中でも急所を的確に仕留めていた。すごい手練だが、おかしな点が二つある。

 

 一つ目は、そんな手練を持つ者がどんな目的で人を殺して回っているのか?

 二つ目は、町で起きている通り魔の事件、たしか被害者は全員刺し傷だった。

 二つ目はたぶん、通り魔はナイフも銃器も扱えるのだろう。だから、それこそ一つ目の疑問がさらに深くなってくる。

 

「とりあえず、私は私で調べてみよう」

 

 黒桐が居ないのは深手だがな。

 

*****

 

 夜。

 

 私はあの廃工場に来ていた。

 あのこびりついた血の匂いは、町をぐるぐると回り、最後には結局ここに辿りついていた。

 そして、立ち尽くす私の目の前には汚れ、怯え、震えている通り魔の末路。

 

「惨めだな」

「………っ」

 通り魔の男は私に気付くと、さらに震え上がった。

 どうやら、私に怯えているらしい。……当たり前か。人の目は蒼く輝かないしな。

 男から見れば、私は化け物でしかないのだろう。

 もしくは直感で死ぬと感じているのか。それにしても一ヵ月で随分とみすぼらしくなってしまったな。

 

「おい、お前。死ぬ前に何か言いたいことあるか?」

「………どうして、俺を殺すんだ」

 

 散々人を殺しておいて、何故自分を殺すのか?か。

 随分と矮小な男になったものだ。いくら私が異端者だからってそこまで怯える理由も分からない。

 実際に前会ったときはその異端者を力と近代兵器で押さえ込んでいたというのに。

「何故お前を殺すのか。そんなの、お前が人を殺しすぎたからに決まっている。弱きものを痛めつけることでしか、自分の存在も掴めない穢れた虫。死にたくないなら牙をむけばいい。反抗しないなら、私はお前を殺すよ」

 

 鞘から刀を抜く。

 すらりと伸びた刀身の剣尖が蹲る男に突きつけられた。

 

 男もようやく死を感じ取ったのか立ち上がる。

 

「はっ、やっぱり殺し合いはそうじゃないとな」

「―――――――っ」

 男は銃を構えて、数発連続して撃ち続けた。

 私はそれを全て弾くか避ける。

 前のように不意打ちでなければ、このような芸当も容易い。

 

 それにしても、男の動きに切れがない。本当にこいつが通り魔なのか、そんな疑問さえ抱いてしまう。

 しかし、この男の瞳に移る感情は、簡単に把握することができた。

「まさか、お前―――怖いのか?」

「――――っ!うるせぇっ!」

 男は大声で叫ぶと、私に再び銃を構える。

 しかし、引き金引いても出ない銃弾に、男は絶望の表情を浮かべた。

 

「撃ちすぎだよお前、限りのある武器はあまり使わないほうがいい。切り札は残しておくものだ」

 

 私は刀を突きつける、男が居る場所は既に私のテリトリー。すこしでも長いほうがいいと、刀を持ってきたのは正解だったな。

 

「うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい!!!お前に何が分かる、俺の何が分かる!?そうだ、お前のような奴らが俺の、俺の大切な人をッッッッ!」

 

 しかし、男は私の刀を弾く。

 手には一振りのナイフ。

 どうやら銃器だけが、この男の得物ではないらしい。

 しかし、それにしたって依然、私のほうが有利だ。リーチの長さは刀のほうが長いに決まっているのだから。

 

 だけど、そんなこと以上に私は男の言葉が気になった。

「どういうことだ?」

 だから、ついつい刀を下ろして、男に問いかけていた。

「俺は大切な人を守りたかった。だから、自衛隊に入って身体を鍛え、それなりに修練を繰り返してきた。だけど、あの日。俺が仕事から帰ってきたときには、あいつは、俺の妻は……ッッ!」

 

 キッ、と目尻を上げて男は凄い怒気を孕んだ眼で私を睨んできた。ただの人間にしてはいい殺気だ。

「だから、俺はお前らが憎い。そして助けを求めたのに応じてくれなかった人間も全部憎いッッ!!」

(成程ね、こいつは人類でありながら、人類を憎んだ。結果、大量虐殺、通り魔なんてことをしてしまったのだろう。この男が間違ったのは、そこだ)

「本当に俺のような異端者が憎いなら、お前はまず人間ではなく、異端者に矛を向けるべきだったんじゃないか?結局、お前は怯えていたんだ。死ぬ、ということに。だから、弱い人間を殺し続けたんだろう?だけどね」

 

 私は静かに目を閉じて、

 ―――――私は、世界の死を視る。

 再び視た世界は、死であふれていた。

 

「いいか、人を殺していいのは。同じく殺される覚悟のあるものだけだ!そして、お前は人を殺しすぎた。お前は既に人間じゃない。………人を殺す鬼だ」

「うおおぉぉぉぉぉおおおぉお!!!」

 

 男は獣のような咆哮を上げて、私に襲い掛かってくる。

 それは、前に見えた頃よりも獰猛で、素早い。まるで獣のような男の姿に。

 私は欲情した。悪寒、戦慄、激情、嫉妬、衝動。

 

 クロクテ、ドロドロトシタ、ナンテ甘美ナ、殺人衝動。

 

 殺し合いは全てを忘れさせてくれる。

 嫌なことも考えられなくなるほど、死を前にした人間は獰猛で、獣的で、頭の中が真っ白になる。

 背筋を、電流が走る。かるい絶頂(エクスタシー)に似たようなものが連続的に訪れた。

「いいぜ、最高だよ。あんた」

 殺すに値する!!!

 

 ナイフと刀が何度も何度も交差し、あたりに刃物同士が織り成す不協和音が木霊する。

 こんなに刺激的な戦いはいつ以来か。

 喘ぎ声とさして変わらないほど、私は興奮した荒い息を、吐き出す。

 獣になればいい、獣は何も考えずに仮に勤しむ事ができる。

 

 さぁ、コロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセ!!!

 

 今は、

 何も考えずに

 人を殺すことの意味とか

 その罪とか

 あいつの事とか

 全て忘れて――――――――。

 

「式!!!」

 

 全て、忘れ、て?

 

 私はその顔を思い出す。

 その思いを思い出す。

 真っ白な頭の中で、あいつは、こう言うんだ。

 

「帰ろう、式」

 

 って――――。

 

*****

 

 その夜、僕はいろいろな場所を巡って、しかし手がかりもなしに歩いていた。

 だから、今日はこれぐらいにしようと踵を返したとき。

 

 どこからか、獣のような咆哮が聞こえて、微かに金属音がした。

 

 時既に深夜。

 獣の鳴き声だったら、野良犬とが居るかもしれないが、金属音は明らかに異質だった。

 僕は咄嗟に式のことを考える。

 もしかしたら、式かもしれない。そう考えて、僕は音だけを頼りに歩き出す。

 少しでも早く、と急く心で今は、走れない両足を呪った。

 

 その場所は案外簡単に見つかった。この間の路地裏―――――に思えた廃工場。

 

 建物のほとんどは崩れていたが、それでも、雨は凌げる広さで、金属音は木霊している。僕は目を細めて、その奥を見る。

 

 そこには式と、ナイフを持った男が互いに獣のように殺しあっていた。

 式は片手で刀を扱い、男のナイフを弾き続ける。

 男は修練を積んでいるのだろう。切り替えしが速く、目で追うことができない。

 おおよそ、人間の動きではないが、それを弾いている式は余裕の笑みで男を見下していた。

 蒼く輝く眼は、万物に蠢く死を図る。

 

 その笑みが、すこし怖くて。

 式が式ではなくなってしまったのではないかという、錯覚を消したくて、つい

「式!」

 と、呼んでしまった。

 第三者の声で殺し合いをしていた、式と男の両者の動きが止まる。

 そして、式が肩で息をしながら、こちらを振り向いた。その眼は普通で、それどころか怯えているようにも見えた。

 

 大丈夫。

 式は、殺人鬼に堕ちてなんかない。

 式は、殺人鬼なんかじゃなかったんだ。

 

 そう、今回の通り魔事件だってそう。

 式は犯人なんかじゃない。

 だから、もういいんだ。

 何の責任を感じているのか知らないけど、事件の解決なんてどうでもいい。

 ただ、僕は式言ってあげたい。

 

 もうそんな、血塗れの世界になんて居なくていいんだよ、君は。

 普通の人間として生を謳歌すればいいんだ。

  

 だから――――――――。

 

「帰ろう、式」

 

 ゆっくりと、僕は式に手を差し伸べた。

 

*****

 

「帰ろう、式」

 

 女は刀を下ろす。

 カランという音があたりに響いた。

 

 さっきまでの殺し合いが嘘だったように、女からは戦意が消失していた。

 まるで、俺のことなんて忘れたかのように。

 

 そうか。

 成程、この男は女にとってよほど大切らしい。

 殺しに溺れていた女が得物を手放したんだ。よほど――――――。

 

 ならば、俺が味わった感情を、屈辱を、悲しみを、この化け物にも思い知らせてやる。

 

 俺はナイフを閉まって、銃を取り出し、弾を一発こめる。

 そして、現れた男の心臓を狙って、

 

「死ね―――――――ッッッ!!」

 

 引き金を引いた。

 乾いた音が、あたりに響いた。

 

*****

 

 私は刀を手放す。

 現れた幹也、差し伸べられた手を凝視することで、精一杯だったから。

 男のことなんか考えていなかった。

  

 だけど、後ろでなにか機械的な音が鳴ったのに気付いて、私は振り返る。

 男は幹也に対して銃を向けていた。

 

「死ね―――――――ッッッ!!」

 

 今まさに引き金が引かれようとしていた。

 

「駄目―――――――――!」

 

 私は、頭に浮かぶ嫌な予感を振り払って、幹也を抱きしめた。

 

 乾いた音が、あたりに響いた。

 

*****

 

 乾いた音が、あたりに響いて。

 

 僕に抱きついた式は、一瞬表情を強張らせ、そして涙を一筋流してその場に崩れ去った。

「式ッ!?」

 

 倒れ行く式を支える。

 背に回した手には湿った感触、見てみればそれは血だった。

 思考が停止する。

 何が起きたのか、式の身に何が起きたのか。

 分からない。だけど、これだけは分かる。

 式は、僕を庇って、こんな風になってしまったのだと。

 

「式っ、式!!」

 

 ぐったりとして、力もない式の肩を一生懸命揺さぶる。

 だけど、反応は返ってこない。

 その間も、血は止めどなく溢れて、もうどうしようもないほど。

 

 式が死んでしまう。

 僕を庇って死んでしまう。

 

「駄目だ。まだ、まだ言っていないのに」

 ごめんって。

 ごめんなさいって、言ってないのに。

 

「みき、や、無事、か?」

「……っ!式!?う、うん大丈夫だよ」

「そっか、良かった」

 口の端から血の雫が伝い、涙が頬を伝う。

「そんなことより、式は大丈夫なのか?傷の――――」

 

 そこで、止まる。

 式が、式の血で塗れた手の平が、そっと頬に添えられたから。

「式?」

「ここで、お前の命を救えたのは僥倖だった。人を殺してしまった私は一人ぼっちで死ななきゃいけなかったのに、お前は私を探し出した。探し出してくれた。それだけで、私は一人ぼっちじゃなかったと言えるから」

 

 式は、そっと微笑むように、目を瞑った。

 

「お前と鮮花がキスしているところだって、無理矢理だって分かっていた。だけど、あの時の私は嫉妬で狂っていた。………燃え上がって、どうしようもなく狂っていた。だけど少し落ち着いて、冷静になって、ああ、そうかって。結局、私は一人ぼっちなんだなって。お前と私は住むところが違うんだって」

 

 ごほっ、と式は大量の血を吐き出した。

 それでも、手は頬に添えられたまま。

 

「し、式!?」

「大丈夫、言わせてくれ。ごほっ、でもな、さっき手を、さし、伸べてくれただ、ろう?それで、俺のい、場所はあるんだなっ、てさ。思えたん、だ。だから、ありがとう」

 

 流れ出る血は、いつの間にか僕の膝を濡らすぐらい流された。

 唇も蒼く変色していた。

 

「ありがとうなんていうなよ、僕は謝らなきゃいけないんだ。式に、だから――――」

「ううん、ありがとう。もう、とっくに救われていたのよ。黒桐くん。貴方に私は救われていた。()は貴方に――――――」

 

 手が滑り落ちる。

 式は、聞こえないほど小さな声で、最後に。

 

「ありがとう。(オレ)の泡沫の夢を守ってくれ、て――――、ばいばい、少しの間だったけど、楽しかったよコクトー」

 

 それを最後に、式は、何も話さなくなった。

 血塗れの式を抱いて、僕は式の骸を抱いて。

 

「ああぁぁぁぁぁぁああぁああぁぁぁあああああああ!!!」

 獣のような咆哮を上げた。

 

*****

 

「ああぁぁぁぁぁぁああぁああぁぁぁあああああああ!!!」

 

 廃工場の中で、大気がびりびりと震えるほどの咆哮。悲しみが封じられた叫び声。

 その光景には見覚えがあった。

 

 俺も、妻を殺されたとき、ただ叫ぶことしかできなかった。

 

 めまいを感じる。

 握った銃がカタカタと震えている。

 それは恐怖か、それとも――――――。

 

「―――――――っ、これが望みか!式を殺して、満足か!お前に式が何をしたんだ!式が何をしたって言うんだ、こんな、こんな酷い………」

 

「っ」

 過去の自分が言った、そのフレーズ。

 俺も、死んだ妻の骸を抱いて、そんなことを言ったはずだ。

 ということは、俺は、

 

「この、殺人鬼っ!!化け物!式じゃなくて、お前が死ねばよかったのに」

 

「うるせぇっ!!」

 

 自棄になって、銃口を男に向ける。

 男は怯えもせず、憎しみをこめた目で俺を見続ける。

 ただの人間のはずなのに。どうして、ここまで―――――――。

 

 そうか、これが愛か。

 

「くそっ」

  

 俺は過去の自分そのままの男を撃てずに男の横を通って逃げる。

 過去の残像が、蘇ってしまった。

 雨の中、妻の最後を看取り、そしてその原因となった奴らを睨んだ。

 

 あの時の俺と、さっきの男は似ていた、似すぎていた。

 だから、止めを刺すことなんて出来なかった。結局、自分は過去に縛られていた愚かな殺人鬼なのだと、実感して。

 

「それで、逃げられると思っているのか?お前は」

 

 紫煙を纏う、女が行く手を阻んだ。

「誰だ、手前」

「私か?私は魔術師だ。………さて、君はそれで逃げられると思っているのか?」

 

 魔術師、といった女は煙草を指でつまみ、俺のほうに差し出した。

 

「お前の過去は調べさせてもらったよ。同情はあるが、そこでとったお前の行動に救済は必要のないことだ。人を殺し続けたお前は、お前の妻を殺したやつらと大して変わらないと知れ」

 

 その煙草が、光る。

 

「最後に、これは式を殺した、お前の罪だよ」

  

 次の瞬間、俺の意識は、掻き消えた。

 

 

*****

 

 人は誰もが罪を背負い生きている。

 誰でも、どんなに軽い罪でも、背負い贖い、それでも生きている。

 

 その罪が人一人の殺人だとしよう。

 

 その贖いは人一人の人生になる。

 

 人を殺せば、その人が過ごすはずだった年月が全て失われることになる。

 だから、殺人を犯した人物は、一生自分の罪を背負って生きていかなければならない。

 

 ここに、一人の少女の物語がそっと幕を下ろした。

 罪を背負い、泡沫の夢をあきらめ、その身が遂げた最期は。

 

 大切な人を救う、一つの命を救った。

 

 結局、最後まで殺人鬼だった少女は、本当に最後の最後で救われたのだ。

 

「ありがとう」と――――――。

 

 微笑んだ少女の表情は、まるで救われたのは自分だといわんばかりに――――。

 愛していた人の顔を見ながら、静かに息を……止めた。

*****

「式、し、き。式、式―――――!!!」

 僕は、命を止めるように、息を止めた式の身体を力いっぱいに抱きしめる。

 だけど、溢れ続ける血液はもう手遅れだと告げていた。

 式の身体は冷たく硬くなりつつある。

 僕はそれをただ抱きしめていることしか出来ない。なんて無力、なんて無様、なんて――――弱いんだ。

「ごめん、ごめん、式」

 大好きだった。

 大好きで、どうしようもないぐらい。

 でも、それを裏切ったのは僕。

 だから、式をこんな風にしてしまったのも僕。全部全部僕が悪いんだ。

「駄目だ。式、生きて、生きてくれ………」

 どんなに願っても、式は返事を返してはくれない。

 僕は、式の頬に手を添える。

 

 こんなことしか出来ないけど。

 目を閉じる。

 仮初の人工呼吸。意味がないのは分かっている。だけど、僕にはこんなことしか出来ないから。

「目を、覚ましてくれ」

 僕は、変色している唇にそっと口付けた。

 ―――――それはまるで童話に聞く、王子と姫のキスのようで。

 幻想的で、夢のような瞬間。

 泡沫の夢が蕾をあけた。

 儚く、切ない夢が花開い瞬間だった。

 

 泡沫の夢()

次回予告

後日談・弔いの花束

 

それは、これから1年後の物語。

Publish at :2008/09/25(Thu) 20:06

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