紅い涙 「始」
3/
聖杯。
どんな願いでも叶える事ができる万能の器。
聖杯戦争。
七人の魔術師と七騎のサーヴァントが聖杯を巡り殺しあう。
最後に残った一組が、その恩恵を受け取る事ができる。
第五次聖杯戦争は結局、一人の勝者も出さずに終結した。
勝ち残った者は、自ら願望機、聖杯と謳われていた物を破壊し、聖杯戦争は終結した。
昔から、手に入れたいと願っていた聖杯。だが、勝者の、私の手によってそれは消滅した。
それでも、短いようで長かった十六日間は私の人生の中で一番尊いものだったと思う。
なにより、今私は生きている。
一番大切なことだから、悔いはない。
こうして、日々を普通の人として過ごすのは、とても楽しい事だ。
あの日まで、極端に人から距離をとっていた私は
聖杯戦争が終わり、その日々を士郎と過ごす事で、失われた青春を取り戻そうとしていた。
「まぁ、私にとって青春なんて、二次的なものでしかないんだけど」
士郎に無理強いをして夕飯を作った私は、既に二十分程前にその作業を終わらせていた。
ので、先にお風呂を頂く事にした。
衛宮家のお風呂に浸かって十五分。
彼と繋いだ手を愛おしげ見つめ、直ぐに真っ赤になって、顔の半分を湯船に漬ける。
(私が大切にしているのは、青春とか、日常じゃなくて、士郎と過ごしている日々)
「〜〜〜っ、もう!これじゃまるで、恋する乙女じゃない!!」
私は八つ当たりで波打つ湯船の水面に、勢い良く叩いた。
(これ以上はいっていたら、上せるわね。あがろう)
ぱぁん、と軽快な音がして、激しく波立たせた水面が静まる頃には、風呂場に彼女の姿はなかった。
ただ、天井から滴る水が、床へ落ち、それだけが静寂の中、響き渡る。
2/
背後から「帰ってくるんなら、早めにね」と声をかけられ、玄関へ向かう。
これから俺は、桜を連れ戻しに行く。
いや、連れ戻すという表現は正しくない。
正確には、迎えにいくと言った方がそれらしいだろう。
「原因が俺なら、迎えに行くのは藤ねぇでも、遠坂でもない。俺だ」
桜は俺が好き
だけど、俺には遠坂がいて
遠坂以外ありえないと、決めている。
だから、今回は桜にそのことをきちんと伝えようと思っている。
思えば最近、慎二の世話で忙しかった桜にはきちんと説明していなかった。
遠坂と俺は付き合っていて、恋人同士だ。
それも知らせず、問答無用に俺と遠坂の関係を突きつけられたら、桜も傷つくだろう。
原因は俺と遠坂の二人だが、俺が好きで傷ついたというのなら、それは俺が傷つけたという事だ。だから助けるのも俺。
「ごめん、ごめんな。桜、今俺が救ってやる」
靴を履き終わり、立ち上がる。
(いま、桜は苦しんでいる。どんな顔で俺や、遠坂、藤ねぇに会おうか、苦しんでいる。
苦しんでいる人を救うのが正義の味方だ。)
「何が目に見えるすべての人を救いたい、だっ!大切な家族さえ守れてないじゃないかっ!俺は!!」
桜を迎えにいこうと、今まさにドアを開けようとした瞬間。
「えっ?桜」
桜が家の目の前に居た。
「はい、どうしたんですか?先輩」
何一つ変わらない、いつもの桜。
何一つ変わらない、桜の笑顔。
なのに、
なのに、何故
なのに、何故桜を見ると、こんなにも心が痛むのだろう。
苦しいのだろう。
悲しいのだろう。
しかし平然を装い、どうにか震えを止め
「いや、なんでもない。それより桜」
予定していた通り、遠坂と俺の関係を伝えようとして……――――――
「待ってください」
桜に止められた。
桜は耳にかけていた髪を下ろし、いつもどおり微笑むと
「立ち話もなんですし、少し遠出して公園でお話しませんか?」
そう、寒気がするほどの冷たい声でそう提案した。
「ああ」
俺には否定権などない。
いつもの、いつものと感じているが、脳は何かが違うと、危険信号を発している。
(なんだ、これは)
魔術感知にうとい俺でも分かる、この独特の流れ。
今の桜からは、とても禍々しい魔力が流れ出ていた。
4/
「え?桜が帰ってきて、士郎と一緒に公園に出かけた?」
居間では藤村先生が相変わらず、お茶を飲んでいた。
変わったことはない。
変わっていたのは彼女と私の会話だ。
なんでも、私がお風呂に入っているとき桜が家に帰ってきて、士郎と一言二言喋ったあと、
手を取って公園に出かけていったという。
「それ、本当ですか?」
だとしたら、少し心配だ。あの子だって――――――なんだから。
「うん、私の耳は地獄耳なんだから――」
この先生が嘘つくとも思えない、だとしたら本当なのだろう。
「先生、遅くなるかもしれませんので、先に食べててください。私は心配なので少し様子を見てきます」
「うんうんうん、士郎は困った子をほっとけないから。油断したら桜ちゃんに取られるかもしれないものね。いいわよ、私は勝手にたべてるから」
私は小さくお辞儀して、髪も乾かさずに公園へと走った。
新都と深山町を繋げる橋の近くにある公園には、全速力で走れば大して掛からなかった。
「っはぁ、はぁつっ」
だけど、何故か今日に限って足が重い。
「っなんだってのよ、この」
過ぎ去る景色も遅く、日は沈み、真っ暗になる頃やっと公園に着いた。
「はぁ、はぁはぁ」
みっともない
情けない。
こんなに息を乱して、何をあせっているのよ、遠坂凛。
乱れた息と、無理な運動の連続で震え続けている足を抑え、俯いていた顔をようやく上げる。濡れていた髪は、肌にべとべとと張り付いて不快だ。
整えるたびに吸い込む酸素も、毒のように――――――
そこでやっと気付く。
公園の異常な魔力の流れに。
空気の淀み、公園は既に異界だった。
3(?)/
場所は公園。
私は先輩にあることを告げるため、先輩は私にあることを伝えるため。
それぞれ思うことを胸にしまい、公園まで来て。
まぁ、私が強引に連れてきただけだけど
この手で
この手で先輩の手を握り引っ張ってきた。
つまり、先輩と手を握る事ができたという事。
昔の自分ではできなかった事だ。
「ふふ」
知らず、笑っていた。
先輩と触れた所から熱くなっていく。
胸が高鳴り、顔が赤くなる。
だけど今の私ならできる、今の私は姉さんになんか負けない。
そんな自信で溢れていた。
「私、先輩のことが好きです」
だから、ずっと秘めていた言葉を、思いを告げた。
「さ、桜」
先輩はというと、戸惑っている。
なんて初な反応だろう。
人の為に日々を過ごしてきた彼は、おもに人の前に立つことは少なかった。
それによって、目立つことなく。
人に告白などされた事ないのだろう。
先輩の反応は燻る私の心になお、油を注ぐ。
燃え上がり、噴火しようとするココロは破壊寸前だった。
「あ、あのさ、桜。いままで結局言う機会がなくて、黙っていたんだけどさ、俺、遠坂と付き合ってるんだ。今日はそのことを伝えようと思ってだな」
ああ、そうだ。そうだった
「結局あの人は、私から全て奪っていくんだ」
姉さんは私を、私の苦しみも知らずのうのうと過してきた。
細くて細くて、脆い、唯一穢れのない白い糸は、私の理性を繋いでいた。
しかし、先輩の後ろで息を荒くしながら走ってくる姉さんを見た瞬間。
「姉さんなんて、もういらない」
理性は崩れ、白い糸は黒く染まった。
◆
「え?姉さん?」
桜は確かに姉さんと口にした。
桜に居るのは兄の慎二だけのはず。
なぜ、姉という言葉が出てくるのか。
「士郎―――――っ!」
聞きなれた声が公園に響く。
それは俺の後ろから発せられたものだ。
「まさかっ?」
あれは俺にではなく、遠坂に向けられたものだったのか?
だとしたら、桜と遠坂は―――――?
『姉さんなんて、もういらない』
「っ!?」
そーいえば、桜はそう呟いていた。
いらない、と。
それはどー言う意味だったか。
遠坂は息を荒くして俺のほうへ走り寄ってくる。
俺の後ろでは桜が手を前へと突き出した。
「え?」
それにしたがって、桜の影から、影よりも暗い黒い何かが飛び出た。
「さあ、食事のじかんですよ」
おかしそうに呟くと、その黒い影は俺を通り過ぎ、遠坂へ向かっていった。
「っ!」
いきなりの事で声が出ない。
その影は、遠坂を貫かんばかりに―――――
4(?)/
桜から放たれたそれは、見覚えがあるものだった。
「っ、あんた、なにものよっ!!」
黒い、黒い影は、あの日私が聖杯から慎二を救うために、寺の裏の湖に浸かった時、あの黒い液体と似ているものだ。
膝ぐらいまで浸かっただけで、四十度という熱が出るほどの毒。
「なんて、出鱈目な!力使ってんのよ」
聖杯の中身、この世すべての悪。
それがあの影の正体だった。
しかし、前回と違う事、それはアレがちゃんとした形を得ているということ。
私でさえ、拮抗するだけで精一杯だったのに。
自分を容れ物として、扱うなんて―――――――――――――そうか。
「つまりは、あれを拒絶せずに、受け入れれば力を得られるということね」
桜はもともとその手の魔術に長けている。
アンリマユと桜は相性がいいのだ。
その影は、意思を持った生き物みたいに私へと真っ直ぐ伸びてきた。
「とりあえず、私からということ」
私は不適に笑って、一応持ってきた宝石に魔力を込める。
「―――Vier Stil Erschiesung……!」
呪文を呟き、魔力を発動させる。
「はぁ、っ」
一足で取りあえず一発目の攻撃を避け、伸びてくる二つ目の影に宝石を叩き込む。
「っ」
驚きはどっちのものだったか。
二発目を瞬殺した凛は、既に自分に迫っている三つ目の影に、
桜は影を瞬殺した姉に。
それぞれ驚いていた。
しかし、凛は結局三つ目の影に捕まり、宙に持ち上げられた。
「あっ、あははははは。弱いですね、姉さん」
桜は一時呆然としていたが、すぐに自分が勝ったと気付き、勝ち誇る。
凛としては、覚悟していた事だった。
宝石も聖杯戦争でほとんど使ってしまっていたからだ。
使えるのは今のも含め、約三発。
三発で、借りにも聖杯を満たしていたものに勝てるはずがない。
手段こそ違えど、聖杯は破壊という形で望みを叶える、願望機なのだから。
魔力量は段違いだ。
桜は、その加護を受けながら、尚使用するという離れ業。
自分が勝てる勝算は、零に近かった。
零ではないが。
トレース オン
「投影――――開始」
桜にとって、敵とすら考えていなかった士郎は、その油断に付け込み、一刀で遠坂凛を縛っていた黒い影を両断した。
「なっ」
「っと」
士郎は落ちてきた遠坂をキャッチして、地面に下ろす。
そして、そのまま敵意を桜に向けた。
「そう、先輩まで私の邪魔をするんだ」
桜は暗く、腹の底から搾り出すように呟く。
「いや、違う。別に邪魔なんてしてないし、そもそも訳が分からない、桜がなんでこんな事したのかも」
しかし、士郎はただ、分からないといった。
その質問に桜は虚ろに士郎の顔を見つめて、歪に微笑んだ。
「そんなの決まっているじゃないですか。私は欲しいものを手に入れるために、邪魔なものを削除しようとしているだけですよ?それは先輩も例外じゃない」
桜は艶やかに笑うと、その顔に歪な痕が浮かび上がった。
「私に埋め込まれた聖杯のカケラ、聖杯は私のカケラと共鳴して呼び寄せ合う。
聖 杯 戦 争
さぁ、はじめましょう?望むがままの殺し合いを」
◆
クロイセイハイガ
ジブンヲヨブ
イトシイカケラガ
フタタビジブンノモトニカエロウト
ソウシテ、ソレハ冬木ニマイオリタ。
もうひとつの聖杯戦争が、恐ろしい一つのIfが直ぐそこまで近づいていた