紅い涙 「序」
1/
その日は、何も変わらず。
いつものように先輩の家で夕飯を作るはずでした。
商店街で夕飯の買い物をして、途中で藤村先生とも合流して。
あとは先輩の家に行くだけでした。
先輩の家に行く途中の坂道で先輩らしき人を見つけました。
私の想い人。
愛しい、人
この家に通い続けてから、私が密かに想っていた唯一の人
いつも優しく接してくれる、優しい優しい、私の先輩。
だけど私は、声をかけられませんでした。
少し声を出せば、気付いてもらえる距離、なのに。
声を出さなかった。
声なんて、出せなかった。
だって先輩の隣には
心の何かが崩れた、そんな音がした。
0/
「士郎、明日いい?」
今日は土曜日、平日とは違って短い授業、それが終わって直ぐ、遠坂はいつもどおりに
俺のクラスにやってきた。
聖杯戦争が終わり、しばらくは目立たないように過してきた俺らは、三学年になり晴れて
恋人同士になった。
そのあとは一緒に帰ったり、寄り道したりと恋人らしく日々を過ごしていたわけで。
もはや、全校生徒公認のカップルになってたり、なっていなかったり。
「ああ、いいよ。じゃあ今日は泊まってくのか?」
しかし、今日はそんな色っぽいものではない。
聖杯戦争が終わった後、俺は自分に備わった力―――――固有結界・無限の剣製と投影
魔術を極めるために日々鍛錬を行い、土日は遠坂直々の魔術鍛錬をしていた。
つまり今回のお誘いは、魔術鍛錬をするため一応予定を聞いておくというものだった。
「ええ、そうね。泊まっていく事にするわ」
遠坂は短く答えると、速やかに自分の教室に戻っていった。
いくら公認のカップルになったとはいえ、学園のアイドルなのだ、周りの視線が気になるのだろう。
「ふぅ、それでは帰るとしますか」
重い腰を上げ、鞄を片手に立ち去ろうと
「まて、衛宮」
と、ストップが掛かった。
柳桐一成だ。
一成に止められた俺は後五分間、足止めを食らうことになる。
「遅い」
校門でガンドを放ちかねない勢いで仁王立ちする遠坂がいたのは言うまでもないだろう。
「ごめんごめん、一成に捕まってさ」
「え?柳桐くん?」
遠坂は少し驚くと、ふーんと納得した。
「なんだよ」
あんまりにも遠坂の態度がよそよそしかったので、正面に回って聞く。
そうすると遠坂は難しそうな顔をして
「あんたって、男にもてるわね」
なんて、とんでもないことを口にしやがった。
「はあ!?」
おもわず叫んだ。
男にもてるって、それは誤解だ、100%誤解
体は誤解で出来ている、って言うレベルだ。
「ありえないだろう」
だって一成だ。
どうせ、遠坂と話していたのが気に入らない、もしくは泊まるという単語に反応しただけだろう。
それをもてる、というのはおかしい……―――――よな?
「あら、ありえないって言うわけじゃないんじゃない?前々から貴方にだけ妙になついてるし。私から見ても微笑ましいわよ?そーいうの」
誰か否定してくれ、頼む。
「まぁ、いいじゃない。親友というものがいて」
「あ」
遠坂は友人というものが少ない。
完璧な魔術師であろうとする彼女は、自身の持つ魔術を隠し通すために一般人にあまり近づかないようにしている。
異端は異端を呼ぶ、というように魔術師は人という輪の外にあるものを呼び出してしまう。
その時、失って怖いものがあると魔術師は自身の力を出し憎くなる。
魔術は秘匿するもの、しかし大切な人がいれば、それを守るために神秘を一般人に明かしてしまう事になるため、親密な友人というものを作らないほうが自身の為でも、他人の為でもあるのだ。
魔術師よ、孤高たれ。
だから遠坂は友人というものが少ないのだ。
「ごめん遠坂」
無意識ではあるが、密かに彼女を傷つけていた事を素直に謝った
それに遠坂は頷くと
「今は貴方がいるから、寂しくないわ」
極上の笑みで手を差し出してきた。
「ああ」
俺はその手を取り、優しく自分の指に絡ませた。
「遠坂には、俺がいる」
俺と遠坂は家に繋がる坂道を手を繋ぎながら、歩いた。
他人から見れば、微笑ましい二人のカップル。
「ああぁあ」
ただの、他人から、見れば。
1/
どくん
どくん
どくんどくん
どくんどくんどくん
どくんどくんどくんどくんどくん
「はぁ、はぁっあ、はぁぁ、あっはあ」
息を荒くし、酸素を求めて喘ぐ。
血が出るほど握り締められた手は、血が滴る。
深山でも洋風住宅地のほうにある私の家は、その住宅地でも指折りの大きさを誇っていて
その自宅へと続く坂道を一気に駆け上がったことで、体力は零に近い。
商店街で買ってきた食材の卵は粉々に割れて、袋は所々に破れかけている。
全身汗だくで、制服のリボンは乱れ、ひどい有様だった。
「と、どうしたんだい?桜」
そこに慎二が寄って来た。
「っ」
過去からのトラウマか、慎二に対して無意識に身構えた桜は
「ご、ごめんなさい」
謝った、その反動で買い物袋を落としてしまう。
「いや、別にいいさ。それより桜どうしたんだ?みっともないぜ」
落とした袋を拾い、先に間桐邸に入っていった兄の背中を見て呆然としてしまう。
彼、間桐慎二は聖杯戦争か終わってから、憑き物が落ちたようにガラリと変わった。
でも、今の自分にはそんなことは余分な事だった。
「う、くぅ」
込み上げる思いと、吐き出してしまいたいという欲望に駆られながら、穢れた自分の身を優しく包んだ。
「大丈夫、きっと、大丈夫」
歯車は狂う。狂い出したら止まる事のない歯車は、ぎしぎしと軋んだ。
3/
「え?桜が」
「そうなのよー、士郎と遠坂さんが一緒に帰ってるのを見た途端に、こう、だーっと」
衛宮宅の居間でそんな話を聞いた。
なんでも桜がいきなり俺んちではなく、自分の家のほうに走り去ってしまったらしい。
それも凄い形相で。
「なんか、したかな俺?どう思う遠坂」
今日は私が作る、と聞かなかった遠坂はキッチンのほうで鮭と格闘しながら、俺の質問に淡々と答えた。
「あ゛―、ちょっとやばいかもね。それ。さく、じゃなかった間桐さんは士郎の事好きだったようだし」
「は?」
初耳だ、さくらが俺のことを好き?
でも、俺にとって桜は後輩であって、妹のようなものであって、家族だ。
今更好きだなんて……―――――
ちょっと待て、俺と遠坂が一緒に帰っているところってつまり、アレ?
「うん、仲良さげで微笑ましかったよ、二人とも」
にこにこと邪悪な笑みを漏らしながら、目の前の煎餅に八つ当たりする藤ねぇ
誰か止めろーー、タイガーを止めろーー
「そうか、桜に悪い事しちまったな」
溜息をついて、居間を出る。
背後から「帰ってくるんなら、早めにね」と声をかけられ、玄関へ向かう。
2/
とりあえず、呼吸を落ち着かせる。
別に先輩と さんがそー言う関係だというのは分かっていた。
分かってはいたけど、その事実を突きつけられると<<奥>>の自分が暴走しそうになる。
禍々しい黒い欲望をせきとめながら、走って来た道を戻りながら、乱れた息を整わせる。
「大丈夫、大丈夫」
でも、できることなら
「大丈夫、大丈夫」
先輩は私の
「大丈夫、大丈夫」
私 の も の に ――――――
「うわぁぁぁああぁ」
ガラガラと心が崩れる。
怨嗟の声が私を攻める。
欲望の渦が私を絡める。
日々の幸せが遠くなる。
すべてが私をクルワセル
「あ、ぁぁあ、あっああはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」
欲しいなら奪えばいい。
邪魔ならば殺せばいい。
手に入らないものでも、尊い物でも、穢れたものでも欲しいなら奪い、殺し、取り込む。
なんだ、自分でも気付いてたんじゃない。
こうなった私はもう誰にも止められない。
ここに在り得ない物語が始まる。
終わったはずの聖杯戦争。
さぁ、幕開けだ